ルジコニア

ルジコニアとはルジコニウムの酸化物である。屈折率が高く、その昔は「人造ダイヤ」として宝飾品に使われていた。人類にはある程度のお行儀のよろしくない者が含まれるのはご存知の通り、このルジコニアを本物のダイヤモンドであると偽って売り付けるケースもあったという。

 

それにしても「人造」とは夢のある言葉ではないか。自然界における希少なものを人の手で造り出す、まさに科学の勝利であると言えよう。かつて同じように人類が金を生み出そうとした錬金術においては、科学と魔術は未分化であったというから、言ってしまえば魔術の勝利である。人類は科学と魔術でできている。ぼくときみは科学的に存在し、その関係は魔術的なのだ。自分でも何を言ってんのかよくわかんねえけど、雰囲気で飲み込んだふりをして読み進めていただきたい。

 

しかしながら「人造」と名のつくものは少ない。パッと思いつくのは「人造人間」、嘆息するほど人間は巷に溢れているのというのにわざわざ人間を造る意味なんてあるのだろうか。人間は多いほどその軋轢は増すではないか。どうせなら猫とか作ればいいのに!

まあ「人造猫」ってロクでもない感じがするから作らないほうがいいよね。猫の写真に「〜だにゃ」とかピンクの丸ゴシックで吹き出しをつける人間がいる以上、おれは人造猫ってものを肯定できる気がしない。そんな奴は死ねばいいのに(←軋轢が増すではないか、の例)。

 

人造人間を造るのは「人間」を創りたいという欲望か、それとも特定の「誰か」を作りたいという祈りか。

少なくとも「人造イクラ」は顔の見えない「イクラ」を造る、というモチベーションからきているだろう。プチプチの食感を楽しむのに、個々の鮭の個性は必要ない。養豚場の豚に名前を付けてはいけないのと同じく、「このイクラはかつて某河を必死で登り、息絶えた鮭の子孫である」とか、おいしさを邪魔こそすれ助けにはならないだろう。なんちゅうもんを食わせてくれたんや山岡さん!

 

ウンチクは飯を不味くする最低の調味料なんだ。

 

そんで、「ルジコニア」に話を戻す。お気付きの向きは多かろう、正しくは「ジルコニア」である。なんだよ「ルジコニウム」って。

 

本ブログはテーマをしりとりで決める、というルールではあるが、これは人造言語、造語ではなく勘違いによるものだ。特定の「なにか」を生み出そうとする祈りではない。

きみたちもあるだろう、コメダ珈琲のあれは「シロノワール」だったか「シノワロール」だったか。おっとググるのは禁止だ。あしたの朝に目覚めるまで、モヤモヤとした感覚を共有しよう。おれときみとの関係は魔術なのだぜ。

 

いいから雰囲気で飲み込め。おねがい。